日曜日の夜。まもなく終わる休日を最後まで楽しもうと、私はテレビを見ながらゆったりと過ごしていた。キッチンでは妻が夕食を作ってくれていて、手伝いをしているのか、小学二年生になった息子の声もキッチンの方から聞こえる。時計は八時半を過ぎたぐらいで、夕食としては少し遅めかもしれないがうちではこれが普通だった。料理のいい匂いがリビングまで流れてきて、今日の晩御飯はなんなんだろう、この匂いは麻婆豆腐だろうか、などと思う。
「あなた、牛乳の特集なんて見て楽しいんですか」
ダラダラしているのが目についたのか、テレビを見ている私にキッチンから妻の声が飛んでくる。テレビでは牛乳を取り上げた特集がやっていて、タレントが牧場や直営店に取材に行っている映像が流れていた。もちろん妻の言葉は面白いのかを聞いているのではなく、あなたも手伝ってください、と言う意味だ。すまんすまん、と腰を上げダイニングテーブルを片付け始める。
牛乳、牧場の直営店か——。
私は昔あった、少し不思議な出来事を思い出した。
◇
中学二年生のときだったか。部活から帰宅すると、ちょうど母がスーパーに行くところで、買い物に誘われた。いつもなら断るがなぜかその日は気分になり、久しぶりに二人でもう暗くなった道をスーパーに向かった。私の役目はもっぱら荷物持ちで、母親が品物を入れるごとに重くなっていくかごを持ち、母について店内を歩き回った。遅い時間だったせいか商品はまばらになってきていて、惣菜コーナーにはもうほとんど商品が残ってなく、牛乳に至っては売り切れになっていた。家に牛乳もうなかったよ、と言うと母は少し思案した後「岡田ミネラルに帰り寄ろうか」と言った。岡田ミネラルとはスーパーの近くにある牧場の直売店で、肉やら乳製品やらが色々と売っている所だ。そこで牛乳を買うつもりらしい。「牧場直営店だから、いつものよりちょっと美味しいかもよ」と心なしかウキウキして見える母親とスーパーを後にし、岡田ミネラルに向かった。
岡田ミネラルは思っていたよりこじんまりとしていて、優しそうな店員のおねえさんが一人で店番をしていた。店内には牛肉、豚肉、それの細切れ、ばら、ミンチなどたくさんのお肉が入ったケースがあり、その横の冷蔵棚には牛乳、チーズといった乳製品が、これでもかと言うほど並べられている。牧場直営のこだわりなのか、牛乳は紙パックではなく牛乳瓶に入っていた。銭湯以外で滅多に見ないそれに中学生の僕は少々興奮した。「お母さんが学生の時は、給食も瓶で牛乳出てきたのよ」と言いながら母親は1Lの牛乳瓶を一つ手に取り、お会計をお願いした。
その時だった。ガラガラッと音がして、息を上げた女性が店に入ってきた。店の前には自転車が一台止まっている。自転車を急いで漕いできたらしい。母親と同じぐらいの年齢の主婦と思しきその女性は、店に入るなり「牛乳ってありますか?」と尋ねた。随分と急いでる様子だった。何事だろうと言うような表情で店員さんが、こちらに、と牛乳の並んだ棚を示すと、
「あぁ、ごめんなさい。それじゃないの。他にはないですか」
と聞いた。こちらに並んでるものだけになります、という店員さんの言葉を聞くと、そう、ありがとう、といって女性は急ぎ足で店を出ていった。牛乳の銘柄に随分とこだわりでもあるのだろうか。店員さんも不思議そうな顔をしていた。なんだったんだろうね、と母親と話ながら牛乳を買い、私たちは家路についたのだった。
◇
(以下、オチです。考えたい方はここで)
◇
「えー、なんでもっと早く言わないの」
妻の大きな声が聞こえて、ハッとする。昔のことを思い出していて、机の片付けは一向に進んでいなかった。キッチンの方を見ると妻はどうやら息子と話しているらしい。もう今朝捨てちゃったわよー、と言う妻に、どうしたの、と話しかける。
「涼太が明日の図工で、牛乳パック持っていかなきゃいけないっていうの。でも溜まっていたのちょうど今朝、全部捨てちゃったのよ」
あー、そのパターンか。自分も小さい時よくやって母親に怒られたものだ。妻に、今料理で手が離せないから、ちょっと買ってきてくれない、と頼まれ、財布を持ってスーパーへと向かった。
二十一時を回ったスーパーは空いていた。牛乳牛乳、と呟きながら飲料のコーナーに向かった。普段会社帰りに買い物を頼まれることがあるから、一応商品棚の位置は把握している。パンの棚や魚のコーナーを通り過ぎ飲料のコーナーについた僕は、商品棚を見て驚愕した。なんと牛乳が一本も残っていないのだ。このぐらい遅い時間になれば品薄にはなっていくものだろうが、しかし一本も残っていないことなんてあるのか。まずいな。私は少し焦り出した。近くで牛乳が売ってそうな場所、牛乳が売ってそうな場所……コンビニ!そう思いつくとすぐさまスーパーを後にし近くのファミマへと向かった。スーパーで売り切れていたのだ。ないとは思うが、もしかしたらコンビニでも売り切れているしれない。ファミマへ向かう足は自然と駆け足になった。
ファミマに着いた私はドアを開けると、一目散に飲料の棚に向かった。牛乳牛乳……どこだ……あった!そこには一種類のみであるものの、確かに牛乳が陳列されていた。よかった、と安堵しながら牛乳を一つ手に取ったが、次の瞬間、僕はあぁ!と落胆の息を漏らしていた。僕が手に取ったのは明治の「おいしい牛乳」、つまり開け口に丸いプラスチックの部品が嵌め込まれているタイプのものだったのだ。まずい、これだと工作に使えるか分からない。牛乳を元の位置に戻し、近くで品出しをしている店員さんに、すみません、と声をかける。牛乳って、と尋ねると、あぁそこにありますよ、と答え僕の前の棚を指さす店員さん。その言葉を聞いて僕はこう言った。
「あぁ、ごめんなさい。これじゃないんです。他にはないですか」